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研究業績

RESEARCH WORKS
2017.04.02

西周の哲学 ワード版(図なし)

本論文は,国際シンポジウム「東アジアにおける近代哲学の生成と展開」(厦門大学、2016年10月1日)で発表された「西周における<理>の転回——近代日本哲学の形而上学的次元」(『予稿集』掲載)を大幅に加筆修正したものである。なお,この日本語版とは別に中国語版が『円卓』(2017年, 第2期)に掲載される予定である。

 

西周の区別-連結》の哲学

―「実証主義」と「天の思想」を包括する体系 ―

森下直貴

(倫理学)

 

Amane Nishi’s Philosophy of《Distinction-Connection》

The System including “Positivism” and “Ten (Heaven)-metaphysics”

Naoki MORISHITA

Ethics

 

キーワード:西周,哲学,実証主義,形而上学,朱子学,古学派,コント,J.S.ミル

Abstract:

In Japanese history of philosophy, Amane Nishi is regarded not as a genuine philosopher but as an enlightenment-thinker, whereas he is unanimously praised as “the father of Japanese philosophy.” The reason is that he was the positivist as well as the utilitarian. However, he expressed the faith in “Ten (i.e. Heaven),” Japanese metaphysical or divine entity. The concept of “Ten” is inherited from Kogaku school of Confucianism in Tokugawa era, and derived from Kukai’ s esoteric Buddhism in ancient era. Therefore, Nishi’s philosophy remains vague yet, as long as the relation between positivism and “Ten” within his thought is not elucidated.

This paper condenses Nishi’s philosophy into three theses, aiming to comprehend it completely. The first is〈Relation i.g. “Ri (Reason)”〉thesis. Nishi raised it against Shushigaku school of Confucianism. Compering this thesis with thoughts of Shushigaku, Kogaku, or Conte and J.S.Mill, Nishi’s philosophy is characterized as the perspective of distinguishing and relating every thing in the actual world. The second is〈Knowledge/Faith〉thesis, his fundamental view on religion. Interpreting implications of this thesis, the structure of relationships among science, metaphysics, religion and morality is lighted up. Their co-related structure of every thing, which is mediated by “Ri” and suspended by “Ten,” is the Nishi’s very system of philosophy. The third is〈Feeling=Brain〉thesis. This is the basis of bringing〈distinction-connection〉into the world. Here is followed how this thesis makes sciences unified, building a bridge between physiology and psychology. And also how it makes utilitarian ethics systematic, integrating personal, inter-personal and societal levels.

The core of Nishi’s philosophy exists in his perspective of〈distinction-connection〉.This is one of the pictures of the “philosophical thinking.” From this perspective, he tried to divide and integrate all actual beings, including human activities, for example, science and philosophy, metaphysics and religion, physics and psychology, physiology and psychology, simple and complex feeling, religion and morality, morality and law, and so on. His “system of philosophy” embodies itself in such inclusiveness. And in Japanese metaphysical tradition, the actual world substantially means ”Ten and Chi (i.e. Heaven and Earth).” Therefore, his philosophy also includes the first attempt of “Japanese metaphysics.”

 

Key words:

Amane Nishi, philosophy, positivism, metaphysics, Shusigaku, Kogaku, Conte, J.S. Mill

 

序 西周の「哲学」そのものへ

 

西周は『百一新論』(明治7年公刊)の中で,“Philosophy”の訳語として日本で初めて「哲学」を用いた。また,明治10年の東京大学設立の記念講演では,「実験」と並ぶ「溯源」という知的探求の方法を示し,若い世代に向かって「哲学」の創出を呼びかけた1)。これらの事実を見る限り,西こそ近代日本「哲学」の第一世代を代表する「哲学者」と評されて当然かと思われる。実際,西の講演を聴き,後に哲学講座の組織化や,学術専門誌の刊行,後継者の育成といった外的な制度化に尽力した井上哲次郎は,明治初期に西洋哲学を導入した一群の人々の筆頭に西の名を挙げている2)

しかし,井上以降の制度内で専門化した世代にとって,西は基本的には「哲学者」ではなく啓蒙思想家に止どまる。例えば,井上の後を継いだ第三世代の桑木厳翼によれば,哲学用語の制定の他に,論理学や心理学の紹介,実証主義・経験主義・功利主義に基づく社会科学の導入など,多分野の功績が西に帰せられるにせよ,「哲学」として見れば彼は所詮,「人生哲学を根本」とする啓蒙思想の巨人ではあっても専門の哲学者とは言えない3)

桑木による西の評価は多方面に渡って行き届き,それなりにバランスも取れているため,西をめぐる後世の見方の大枠を決定づけたのではないかと考えられる4)。とはいえ,専門主義云々を別にしても,桑木の評価には近代「日本哲学」特有のバイアスがある。桑木の哲学観の前提は新カント派の哲学であり,明治30年代に『哲学雑誌』上で行われた論争に関連させるなら,彼は実証主義派に対する形而上学派に属している。つまり,桑木は理想主義的な哲学観を基準にして「功利主義」に接続する西の「実証主義」を否定的に見ているのである5)

ところが,その「実証主義」者であるはずの西は,宗教を論じた『教門論』において形而上の「天」に対する<信>を率直に語っている6)。この「天」は幕末の主流であった朱子学の「天」ではなく,素行・仁斎・徂徠といった古学派の「天」であり,井上に従えばその源流は遥か遠く空海の密教思想にまで遡るものである7)。この伝統的な「天」の思想と実証主義(及び功利主義)の哲学とは西の内部でどのように結びついているのか。この点が解明されない限り,彼の「哲学」は依然として未知のままに止まることになろう。

もちろん最近になって,西に対する徂徠学や東アジアの儒教伝統の影響を読み直す動きが活発になり,近世日本思想と近代化の関係が問い直される中で,西に対する公正な評価も芽生えつつある8)。とはいえ,思想レベルの影響関係や背景的文脈をいくら研究しても「哲学」には届かない9)。そこにあえて踏み込むには研究者の側にもそれ相当の見地が求められる。「哲学」とは,筆者流に言えば,<現実>世界を内在的に成り立たせている目に見えない根拠を探究する直観的な知である10)。西周の「哲学」を把握するのであれば,その種の根拠に向けられた彼の視線にこそ焦点を合わせなければならない。

この論文では,西の「哲学」の全体を把握するために,その糸口として三つのテーゼを立てて考察を進める。一つ目は,朱子学の「理」に対抗して西が打ち立てた<関係即理>テーゼである。朱子学,古学派とくに徂徠学,それにコントやJ.S.ミルの実証主義哲学 ―これら三者との間の差異を比較検討することによって,あらゆる事物の宇宙に<区別-連結>を導入する視線として,西の実証主義「哲学」を特徴づける。二つ目は,西が宗教に関する基本的見地を提示した<知/信>テーゼである。このテーゼの含意を読み解く中で「科学と形而上学と宗教と道徳の連関構造」を浮かび上がらせる11)。これこそ<理>によって媒介され,<天>によって支えられた西の哲学<体系(システム)>の枠組みである。三つ目は,現実世界に対して<区別-連結>を遂行する際の拠り所となった<情=脳>テーゼである。それがどのようにして一方では諸科学の統一を実現し,他方では功利主義倫理学の体系化を推し進めたかを追跡する。

以下で主に取り上げるテクストは,西における「理」の解釈の到達点を示す『理ノ字ノ説』,彼の宗教観や宗教と科学との関係を示している『教門論』,そして諸科学の「統一の観」をめぐる彼の哲学的思考を例証している『心理説ノ一斑』である。出典は『教門論』を除いて『西周全集 第一巻』(『全集』と略記)に拠るが,読み易さに配慮して部分的に変えたところがある。

 

1)「学問ハ淵源ヲ深クスルニ在ルノ論」『西周全集 第一巻』大久保利謙編,宗高書房,1960年,568-573頁。

2)井上哲次郎『明治哲学回顧』序論,岩波講座『哲学』所収,1932年。

3)桑木厳翼『日本哲学の黎明期』書肆心水,2008年,17-22頁。

4)例えば,舩山信一は西周のことを「哲学的エンチュクロペディスト」とか(『明治哲学史研究』(初版ミネルヴァ書房,1959年)舩山信一著作集 第六巻,こぶし書房,1999年,29頁),「日本の哲学者の父」だが「自覚的な哲学以前」であって「哲学啓蒙家」とみなしている(『日本の観念論者』(初版,英宝社,1956年)同著作集 第八巻,こぶし書房,1998年,15-16頁,19頁)。あるいは,小坂国継は西を「啓蒙主義者」ではあるが同時に優れた「体系家」と評する(『明治哲学の研究』岩波書店,2013年,60頁)。いずれも啓蒙思想家の扱いをする点では異口同音である。

5)『哲学雑誌』第11巻(明治29=1896年)前後の論争(東京大学法学部研究室図書館蔵)。形而上学的傾向は桑木のほか高山樗牛や姉崎正治らに顕著である。彼らは大西祝を精神的支柱として「丁酉懇談会」を結成した。なお,「実証主義」「実証哲学」という用語は「形而上の理論を排して事実の証明を重んじる」点を勘案して桑木が造語した。しかし西自身の訳は「実理哲学」である。桑木前掲書36頁。

6)桑木は西の内に宗教性があることを指摘し,その点が通常の啓蒙家とは違うことを認める。しかし,それに言及するだけに止まり,それが西の哲学にとっていかなる意味合いを持つかにまで踏み込んでいない。桑木前掲書21頁,61頁。

7)井上哲次郎『日本古学派之哲学』(富山房,明治32=1902年)及び「哲学上より見たる弘法大師」(六大新報社,大正7=1918年)。

8)島根県立大学西周研究会編『西周と近代日本』ぺりかん社,2005年。

9)小泉仰『西周と欧米文明の出会い』三嶺書房,1989年。

10)ここで言う「根拠」は,古来の伝統では超越的な「理」「道」「真如」「ロゴス」「イデア」「神」等と表現されてきたが,現代哲学では<現実>に内在する「条件」「前提」「構造」「経路」等とみなされる。例えばN.ホワイトヘッドの『過程と実在』(みすず書房,1983年)では,現実世界を成り立たせている「普遍的図式」を直観と論理によって記述するのが「(思弁)哲学」とされる。

11)道徳と並ぶ位置にある美学,即ち「美妙学」については別の機会に論じたい。

 

1.『理ノ字ノ説』と<関係即理>テーゼ

 

西周は晩年に『理ノ字ノ説』と題する講演を行った1)。この講演には<理>に関する西の考え方が総括的に示されている。もちろん初期の『生性発薀』やその他の著述にも既に同様の認識が窺えるし,『尚白劄記』では「はず」や「わけ」にも言及されている。以下では,『劄記』等をも考慮に入れながら,その講演の要点をまとめた上で<理>をめぐって考察を試みよう。頁付けは『全集』に拠る。

西周によれば,<理>の字は元々玉の「木目」を指し,そこから転じて事物の間の「直路」即ち「道」を意味した。やがて「道」は大いなる直路を指すようになり,特に微細にしてにわかには見えない関係には<理>が用いられた。ただし,「形而上学」という字の出典である『易経』ではことさら<理>は強調されていない。遥か下って宋儒の時代になると,禅宗の「空理」に対抗して<理>が一元的かつ普遍的に立てられる。宋学では<理>はあらゆる事物の善なる秩序原理であり,この同一の理が物のみならず人の心(性)をも貫いている。そのため人の心の性は本来的に<理>にして善とされる。この「性即理」及び「性即善」こそ,朱子が大成した宋学の「性理学」の二大公理である。<理>が気と結合してこれを秩序づける中で森羅万象が化生する。ところが,西の考えでは最初に来るのは<理>ではなく,「気」なのである。

 

…ひそかに考えるに,その気質の禀と称するものはすでに一定せば,これすなわち後来万般の事に応ずるその中の主宰と成りて,その方向を指定するものにして,これを外して別にいわゆる理なるものあるべき、また存すはずなきなり…(600頁)

 

万物の「主宰」は「気質」あるいは「気禀」である。これは徳川時代初期の仁斎も言うところの「一元気」に当たる2)。そして「気」から万物が生成変化するとみる限り,西は「気一元論」の見地に立っている。それでは<理>とは何か。

 

…けだし理というものは虚体にして,その気禀性質の一定するにしたがいてその事物に応ずる際に現れるところの関係にして,ただ人心のその関係を察するものにおいてのみ観るべきものとす,およそ万事万物いやしくも両性相対すればその際に理生せざることなし,たとえば火の水に対し,木の金に対し,子の父における,婦の夫におけるがごとし,その中間に必ず一定の理すなわち関係の存せざることなし…(600頁)

 

西にとって事物は単独ではなく,事物の一定の気質が他の事物の気質に応じる際に現れる「関係」である。この「関係」が「人心」によって観察されるとき,そこに<理>が生じる。つまり,<理>とは観察する主観による事物関係の把握であり,その意味では事物中の実体ではなく「虚体」である。ここは大事な点である。人の観察の有無に拘わらず事物間の関係はあるにせよ,それらの関係が<理>になるには観察が必要なのである。先へ続けよう。西の考えでは,水と火のような物理的な関係であろうと,父と子のような倫理的な関係であろうと,どちらも事物の間の関係という点では同じである。ただし,そこには違いもある。物理が普遍一律であるのに比して,心理を基盤にする倫理は多様である。倫理が一律でないのは事物を解釈する人心がそこに織り込まれているからである。以上を踏まえて西はこう結論づける。

 

…宋儒諸賢哲の性は理なり,理なるをもって不善あることなし,その不善あるは気禀斉しからざる故なりと為すはすこぶる強説に類するにあらざるか,けだし理は虚体にして両性相逢う際に立つの関係たるのみ,しこうしてその関係はとくに人心によりてこれを発見しうべきのみ,またとくに人のみならずその瑣屑端緒にいたりては禽獣といえども経験によりてこれを知覚するの智能を有す…(601頁)

 

要するに,西周にとって<理>とは「関係」の主観的な把握であり,したがって「虚体」である。そしてその<理>の把握は,「知覚」と「智能」をもつ限り,人だけでなく一定程度までなら禽獣でも可能である。朱子学への対抗の中で立てられたこの<理>の捉え方を<関係即理>テーゼと呼んでおこう。それにしても西周はなぜ朱子学を否定するのであろうか。そこにはいかなる必然性があったのか。この点の解明を手がかりにして西の「哲学」に接近しよう。

明治初期の思想状況をまずは確認しておきたい。文明開化を推進する官民の開明派に対抗する「保守主義」の支柱が朱子学であった。朱子学は寛政異学の禁によって唯一の官学とされて以来,武士の知識層ばかりでなく,武士以外の階層にも広範に浸透し3),幕末に至ってもその勢いは変わらなかった4)。その代表が横井小楠の「実学」であり,この「真の朱子学」の基本精神は明治維新後においても為政者や知識層の考え方を強く規定していた。細かい経緯は省くが,神道(国学)と結合した朱子学的思考は,明治10年代に天皇を巻き込んで勢いを増し,やがて明治23年の『教育勅語』を渙発せしめるに到る。この「保守主義」の中心にいた人物こそ,横井小楠の「実学」の系統を引きつつ水戸学寄りの儒者にして天皇の師父(侍補),元田永孚である5)

以上の背景を考慮すれば,西による朱子学否定の内に一定の政治的な意図を読み込むことは全くの見当違いとも言えない。国教化(祭政一致)政策や,法よりも天皇の人徳を優先させる親政体制は,『百一新論』に示された西の持論とはおよそ正反対である。また,後述する『教門論』においても,西は加藤弘之とともに政教分離を支持し,祭政一致を強く批判している。とはいえ,西は生涯をかけて「哲学」を志向し,「統一ノ観」(諸科学の統一)を追究した学者である6)。彼の論説中に政治的な意図が含まれるのは当然だとしても,それは決して本筋ではない。したがって, 考察の焦点はむしろ, 朱子学の「理学」と西の考える「哲学」との間の差異に置かれなければならない。

そこで改めて朱子の「理学」に向かおう。朱子学では多種多様な事物に内在する「分殊の理」が窮められ,そこから普遍的で同一の<理>が抽象される。あるいは,より精確に言うなら,一元的な<理>という実体が多様な事物に分有されると解すべきであるかも知れない。しかし,抽象であれ,分有であれ,問題となるのは普遍と個物を媒介する論理である。それが欠如している限り,事物の間には種々の区別が存在するように見えて,実は存在しない。コントの諸学の統一の試みを引き受け,その難点を克服することに学者人生を賭けた西にとって,物理と心理はもとより,心理上の道徳と法を連続させるような「理学」は到底受け入れ難いものである7)。<理>はあくまで種々の特殊な理(分殊の理)であって,これらがその特殊性のまま統一的な連関にもたらされねばならない。分割しつつ統合すること,つまり<区別しつつ連結する>ことが西の実証主義「哲学」なのである8)

「哲学」という名称の選択に関して,<理>の捉え方とともにこれと相関する「聖人」の捉え方が決定的な役割を果たしている。朱子学(広く宋儒)では,万物の知を通じて「一理」を窮め,これと一体化するときに絶対主体としての「聖人」が生誕する。つまり,どれだけ困難だとしても理想的には万人は誰でも「聖人」になれる。宋代道学の祖,周茂叔(敦頤)の有名な「聖希天,賢希聖,士希賢」(『太極図説通書』「志学第十」)にはその種の理想が込められている。それに対して日本の古学派では,聖人は特別にして超越的な存在であり,普通の人が徂徠の言う「先王」や仁斎の言う「孔子」のようになることはない。普通の人に目ざせるのはせいぜい「賢人」あるいは「賢哲」である。西にとって「哲学」はどこまでも希賢哲の学でなければならず,聖人の学(理学)ではあり得ないのである9)

西には上述のように日本の古学派の伝統が脈々と受け継がれている。別例をあげれば,「理即虚体」という見方は,確かにコントによる「形而上学」批判の影響を受けているとはいえ10),「一理」の追究は禅宗の「虚無」に終着するとみなした古学派の認識にも呼応している11)。とりわけ西が徂徠学から学んだ影響は明瞭である12)。徂徠は天道と人道を区別し,人道の内に「教」と「法」を区別するが13),この区別は『百一新論』とまさに軌を一にする。徂徠学は西が実証主義的な西洋思想を選択的に受容する上で土壌の役割を果たしている。

しかしその一方,徂徠の思想には「理即虚体」はあっても,事物間の<関係即理>テーゼは見当たらない。「事」と「物」は朱子学や陽明学ではほぼ同義とされる。徂徠はそこに区別を導入し,先王が作為した制度(広義には文化)の中で初めて「事」が「物」になるとした。たしかに徂徠学においても自然と文化が切断されている。だが,文化を人間による習慣的な形成体とみなし,事物の関係を記号の関係(法則)に置き換えるような見地はない14)。ルイスのコント論に対して逐次的な注釈を行った『生性発蘊』を見れば,この見地がコントやJ.S.ミルの影響下にあることは疑う余地はない15)

ここまで<関係即理>テーゼをめぐって,時代背景や古学派やコント及びミルの哲学との異同を確認してきた。しかし「序」でも言及したように,影響関係を指摘するだけでは<関係即理>テーゼの意義を明らかにすることはできない。従来の研究では<関係即理>テーゼに注目されることはほとんどなく,たとえあったとしてもその意義が深く考察されたことはなかった16)。西が打ち出した<関係即理>テーゼが「哲学」の観点から見て重要なのは,それがあらゆる事物の関係を<区別-連結>の視線から捉えるからである。この徹底した視線こそは,一方では西が朱子学を否定し,他方では西を古学派から隔てるものである。それとともにもう一つ,ここまでの論述では言及していない決定的に重要な点がある。それはこのテーゼの背後に控えている「天」の思想である。実証主義の哲学と「天」の思想とのつながりは,西とコントやミルとの間の決定的な差異を示すものである17)。しかし,これまでの研究史ではその点の哲学的な検討が抜け落ちている。

「天法」「天則」「天命」「天道」といった用語は西の著作の到るところに散見する18)。「天」は古学派だけでなく,中江藤樹を始めとする近世の日本儒学全体に共通する形而上の主宰存在であり,さらに言えば日本思想史の全体を特徴づける形而上思想に連なっている19)。西の<関係即理>テーゼの背後に気一元論とこれを包み込む「天」なる実在があるとすれば,西の「哲学」に注がれる視線は,<関係即理>テーゼを透過・貫通してさらにその先,事物の関係を包み込む「天」そのものへと向けられなければならない。

 

1)「理ノ字ノ説」(『全集』)598-602頁。講演は西村茂樹の弘道会で行われた。原稿の起草は明治20=1887年以降とされる。

2)『語孟字義』(『日本思想体系〈33〉伊藤仁斎・伊藤東涯』岩波書店,1971年)15頁。

3)朱子学(広くは儒学)に触発された実例としては二宮尊徳が有名である。『三才報徳金毛録』(『日本の名著26 二宮尊徳』中央公論社,1984年),59頁。

4)黒住真『近世日本社会と儒教』ぺりかん社,2003年。

5)以上は沼田哲『元田永孚と明治国家』(吉川弘文館,2005年)に拠った。沼田によれば元田は横井と違って水戸学に同情的であった。同書53-54頁。

6)特に「生性発薀」(『全集』)45頁,「尚白劄記」(『全集』)165-169頁。

7)「生性発蘊」(『全集』)31頁。

8) デカルトの分析総合の方法では,あらゆる事物が同一次元に還元された上で,改めて再構成される。それに対して西の方法では,事物の特殊性(区別)が普遍性(連関)の中でそのまま捉えられる。

9)この辺りは菅原光『西周の政治思想』(ぺりかん社,2009年)に指摘がある(199頁)。なお,林美茂(中国人民大学哲学教授)によれば,「フィロソフィー」の原義からすれば本来は「希聖学」とすべきところ,西があえて「哲学」を選んだのはギリシャ哲学に対する無理解に起因する。しかし,「理」と「聖人」の捉え方の差異に無理解なのはむしろ林のほうである。プラトン「哲学」を唯一の規範とする林の哲学観も問われる。林「哲学か,それとも理学か」『哲学研究』,2012年,233-236頁。

10)「生性発薀」(『全集』)50頁,53頁。

11)『童子問』(『岩波文庫』)下28。豊沢一『近世日本思想の基本型』(ぺりかん社,2011年)133-134頁。

12)「徂徠学に対する志向を述べた文」『全集』3-6頁。

13)徂徠の書の到るところに見られる。例えば『弁道』(『日本の名著16荻生徂徠』中央公論社,1983年)102-103頁。徂徠では「法」の前提として人倫世界(仁斎的な人倫日用の世界)と「教」がある。赤穂浪士の事件に対する意見(切腹)に窺えるように,徂徠は道徳を法から切り離しつつ,改めて道徳を考慮する。以上は黒住前掲書88-91頁。

14)黒住前掲書376-378頁。白川(『字統』)によれば,「物」は牛の毛の色であり,「事」は祭事の呪具である。漠然とした対象を指す「もの」に対して「こと」は事行と言葉の両面をもつ。ちなみに,仁斎では「物」は「情」を介して「事」と連関し(黒住前掲書280頁), 素行では「物」の用の展開を通じて「事」になる(立花均『素行の思想』ぺりかん社,2007年,158−160頁)。

15)「生性発薀」『全集』,53頁。

16)「関係即理」という捉え方は井上厚史によって注目されている。しかし,その捉え方を主観側の言語的思考に結びつけるだけあり,哲学的考察としては十分とは言えない。井上厚史「西周と儒教思想–「理」の解釈をめぐって」,島根県立大学前掲書146-182頁。

17)コントの人類教やJ.S.ミルの『宗教論』と比較すればよい。コントについてはJ.S.ミルの『コントと実証主義』(木鐸社,1978年),J.S.ミルについては小泉仰『福沢諭吉の宗教観』(慶應義塾大学出版会,2002年)。

18)例えば「生性発蘊」(『全集』)53頁,「復某氏論」(『全集』)296頁。

19)佐藤正英『日本の思想とは何か』筑摩書房,2014年。特に「もの神」や「たま神」との垂直的コミュニケーションをめぐる佐藤の解釈は秀逸にして革命的ですらある。

 

2.『教門論』と<知/信>テーゼ

 

明治6年,基督教が解禁されたことを受けて明六社同人の中で論争が起こった。宗教政策に関する彼らの立場は四つに分かれる1)。一つ目は,社会秩序の妨害とならないかぎり宗教を認める功利主義の立場であり,森有礼や加藤弘之に代表される。二つ目は,信仰の自由と秩序維持を両立させた上で,日本人に相応しい信仰のあり方を模索する西周の立場である。三つ目は,宗教的な共感あるいは文明と調和する高度宗教の見地に立って基督教を国教として導入する立場であり,中村敬于と津田真道によって唱えられた。四つ目は,知識人向けの自然科学的な世界観と愚民・民衆向けの安心法である「蛆虫の視点」とを使い分ける福沢諭吉の立場である。こう並べてみると西のいかにも「哲学者」らしい姿勢が際立つ。宗教に関する彼の基本的な見地が提示されているのは『明六雑誌』連載の『教門論』冒頭部である。ここで「教門」とは広義の「宗教」を指している2)。そこからの引用は読み易さを考慮して『全集』でなく,『明六雑誌(上)』(岩波文庫)に拠っている。

 

教門は信によりて立つものなり。信は知の及ばざるところに根ざすものなり。人すでにこれを知れば,その理や,すなわち己の有となる。しかれども得て知る能わざれば,ただその知るところを推して,もって知らざるところを信ずるのみ。ゆえにその理たるも,また己が有にあらず。しからばすなわち,匹夫匹婦の木石虫獣を神とし信ずるも,高明博識の天を信じ,理を信じ,上帝を信ずるも,みな知らずして信ずるものなり。この差等ありといえども,その揆はすなわち同一なり。(155−156頁)

 

見られるようにここでは<知>と<信>が区別されている。既述の<関係即理>テーゼを踏まえて補えば,<知>は観察に基づいて事物関係の「理」を把握し,この「理」からの「推」理によって得られた「虚体」を<信>は「真なるもの」として受け容れる。続く文章に「信に本末なし,真とするものを信ず」とある。この<信>の対象の間には低級と高級の「差等」はあるが,<知>でないという点ではすべて「同一」とされる。ここに提示された見地を<知/信>テーゼと呼んでおこう3)。このテーゼの含意については後で考察することにして,まずは西の宗教論の全貌を明らかにしたい。

 西によれば,<信>は人の心裏,即ち内心の領域にあり,心の善悪や死後の苦楽に関わっている。つまり,宗教は個人の内面の問題だというのである4)。そのため政府が人の<信>を強いたり奪ったりすることはできない。政府の権限が及ぶのは行為を規制する法度(制度)に対してだけである。政府の官僚も実際には自分の<信>で動いている。こうして政治と教門は本が別である以上,政教が分離されなければならない5)。ただし,宗教が「一統万世」という最大の国家制度に觝触した場合には例外とされる6)

以上の前提の上で,西によれば政府の仕事はさらに「文教」にも及ぶ。学術(文教)は人智の開明であり,教門は人智の及ばないところに向かう<信>に発する。したがって,両者の間には天地の別があるとはいえ,「文教」が進めば<信>も「純粋簡潔」になり,治術(政治)と「相背馳」することがなくなる。「知るの大いなる者はその信ずるところまたしたがいて高し。知るの深き者は,その信ずるところにしたがいてまた必ず厚し」。そこから西が期待を寄せるのは、賢哲の<信>によって庶民の<信>を「漸次観化」することである。そのためには賢哲の<知>と<信>の自由が保証されなければならない。

西はこの箇所で,非<知>の点では「同一」とされる<信>の対象に関して,<知>の内容に対応して「高低」や「厚薄」の「差等」があることを強調している。「同一」と「差等」は表面的には矛盾するが,この点の解釈についても後回しにして先に進もう。西によれば,<知>によって洗練され,「純粋簡潔」となった「賢哲の信」の対象は,万有の「故」に通じ,また心性の徴を窮めて把握される「理」から推して得られる,「虚体」としての「主宰の存在」である。そしてこの「主宰」による「命」の「違うべからざる」あるいは「然らざるなき」ことに対する確固たる信頼,即ち「誠」が「信」の核心である7)。この「命」は地球上到ところで同一ではあるが,教門ごとにその則や儀を異にする。

それでは,「賢哲」の一人である西自身はどのような<信>を持っているのか。西によれば<信>は「平素の己を行い,身を律する」大本であり,それが向かう「真なるもの」は己の心に問う中でおのずから明らかになる。それは具体的には「情」となって表出されるが,これは「人の性」,即ち人心の本来的な用(働き)である。人の心性はその形骸と同様に「天賦」とされる。「人の本は天にある」。西は近世日本思想の伝統を受けて「主宰の存在」を「天」と呼ぶ。「天賦」は「天意」つまり「天」の意志を前提する。ところが,朱子学の「一理」では「天意」が位置づけられない。また「悪」との関係にも無理が生じる。「天即理」は「理即天」となり,結局「理即理」のトートロジーに終わる。ここに朱子学の「迷巷」がある8)。それに対して西は「天は国王のごとし,理は詔勅・法令のごとし」と考える。「天」とは位の至高にして対なきをいう。天の位にいるのは意を有する「帝」であるが,人の帝と紛らわしいので「上帝」とし,功徳の不可測・不思議があるゆえに「神」ともいう9)。したがって「天理即神理」であり「天賦即神賦」である。天の「理」は人の心裏に銘記され,これを遵奉すれば永遠の幸福が得られる。

西は論説の最終回において<信>の「益」に言及している。<信>は衆徳の元にして百行の本である。特に「賢哲の信」は己を修めるとともに人を治める道の基礎となる。したがって社会のリーダーたる「縉紳先生」にこそ<信>が必要である。主宰即ち天に対する<信>がなければ,風化を開いて文明を興すことは難しく,「田爺村嬢」と何ら変わるところがない。ここで西周が問題にしているのは為政者や学者の<信>であり,これに支えられた<徳>なのである10)

ここまで西の宗教論を辿ってきた。西の「天」に対する<信>は,「天道」といった表現として『百一新論』や『人世三宝説』等の主要著作にも散見する11)。以上を踏まえて西の「哲学」にとって<知/信>テーゼが有する意味について考えてみよう。

西の宗教論の基本的見地を示している<知/信>テーゼは,表面的に見ればたんに<知>と<信>を区別しているだけにすぎない。従来の解釈も基本的にはそういう扱いであった。しかし,西の他の著作群と照らし合わせるなら,<知>と<信>とが連関する構造,いわば二重のベクトル連関が浮かび上がる。下の図を見ていただきたい12)

 

西周図

 

ここで一方のベクトルは,現実の事物の諸関係に対する<知>によって把握された<理>から,「推」論を通って「主宰存在」としての「天」へと向かう。科学から形而上学への道である。もう一方のベクトルは,「天」に対する<信>によって「命」として受け止められた<理>の現実化へと向かう。これを詳しく言えば,「天」に対する<信>によって現実の諸関係が必然的(もしくは自然的)な所与とされつつ,この所与の中を行為する人の「徳」が背後から支えられることになる。つまり宗教から道徳への道である。要するに,ここに浮かび上がるのは,推論(とおそらくは直観と)によって捉えられた形而上学的な「天」が,信仰の対象としての「天」へと意味変換されることによって,「天」を支点にして成り立つ「科学と形而上学と宗教と道徳の連関構造」である。<理>はここで媒介の位置にある。

「天」についてさらに掘り下げてみよう。先に示した<関係即理>テーゼが意味するのは,<現実>が諸関係のネットワークの総体であること,その諸関係は<知>によって種々の<理>として把握されること,そして種々の<理>を区別しつつ統一的に連結するのが「哲学」であることであった。そこでは<理>は関係の主観的な把握であり,観念したがって「虚体」とされた。とすれば,<理>からの「推」によって得られる「天」は,虚体の上に虚体を重ねるわけであるから,これまた虚体のはずである。つまり,<知>の側からすれば,「天」に限らず全ての形而上の原理は等しく観念すなわち虚体にすぎない。しかし,それにも拘わらず<信>の側はその観念即ち虚体を「真なるもの」として受け容れる。現実の諸関係の運動の総体が「天」の「命」として受け容れられることによって,その現実の中で行為する人の「徳」もまた支えられる。「真なるもの」としての「天」は,<知>と「行」にとって虚であると同時に実なのである。

ここで改めて古学派との違いを確認しておこう。古学派の「天」は「天地」の「主宰」存在にして,<知>によっては把握できない不可測の超越者ではあるが,実質的には「天地」(あるいは宇と宙)に重ねられ,「天の道」は「天地の道」と同義とされた13)。「天地(あめつち)の道」とは,砕いて言えば,人々の営みを包みこんで絶え間なく活動するものごとの流動的なネットワークの宇宙である。例えば,素行では「天地の妙用」は「生々無息なる用」にして「人の造為して叶わぬ物」14)である。また,仁斎では「天地は一大活物,物を生じて物に生じられず,悠久窮まり無し。その気,生ずるところもなく,生ぜざるところもなし」15)とされる。そして徂徠では「天地は活物,神妙不測なるもの」16)とある。ところが西は,そのような「天即ち天地」に対して,古学派のように実践的な体得や古典の精読と窮理といった主体的つまり個人主観的なアプローチではなく,<区別-連結>を導入する。この点が西の「哲学」を古学派の「思想」から決定的に隔てている。<知>の面から見れば「天」は活動する全体(活物)を映し出すためのいわば鏡の虚焦点(あるいは不在の中心)であるが,「信」の面から見れば「天」は<行>の究極の支えである。虚実を合わせもつ「天」の思想は「無極にして太極」という古来の形而上学の根本理念のバリエーションの一つである17)

西が<知/信>テーゼにおいて明確に捉えているのは,「宗教」という名称で指し示される事柄の核心である。人は虚構を真実として信じる。意味の宇宙には超越的な外部の根拠はない。それは根拠なしに生成する。根拠がないからこそ人は根拠を求める。根拠は意味に意味を接続する意味づけの連鎖の終点であり,現実を方向・意味(センス)づける究極の支えである。根拠は<知>としては虚構である。しかし,人の切実な願いは虚構を真実へと変換する。「天意」には人の切実な関心が映し出されている。根拠なき意味の宇宙の中を生きる人の生を情熱的に支え,人々の集団を情動的に統合するのは,象徴として人格化され,物語化された虚にして実なる視点なのである。

以上を要するに,西は<知>と<信>を区別しつつ連結することによって,「科学と形而上学と宗教と道徳の連関構造」を捉えている。そしてこの構造を有する<システム>を背景として保持しながら,<関係即理>テーゼに拠って<現実>世界を種々に区別しかつ連結している。それが諸科学の「統一の観」の具体的な展開であり,また「功利主義」倫理学の体系化に他ならない。その際の強力な拠り所となったのが『心理説の一斑』で打ち出された<情=脳>テーゼである。

 

1)以下は小泉前掲福沢論に拠る(22−40頁)。一種の道徳宗教を唱える坂谷素も二番目の立場に入れられている。その他,明六社同人には西村茂樹もいるが,その「聖教」は徳教と西洋哲学の総合であり,宗教という文脈から外れる。これについては真辺将之『西村茂樹研究』思文閣出版,2009年。なお,福沢の「局外」の視点を強調する小泉に対し,「説得のレトリック」や「プルーデンス」に注目するのが西村稔である。両者の解釈の違いは興味深い。西村稔『福沢諭吉 国家理性と文明の道徳』名古屋大学出版会,2006年,287頁。

2)この「宗教」という訳語が定着するのは森有礼の論文(『明六雑誌』第6号)以降とされる。

3)菅原光は「法学」の観点から信と知の関係に注目しており,筆者も示唆を受けた。前掲書第四章。

4)「宗教」は元来,①超自然的存在に対する信仰,②象徴的な媒体,③集団の感情的な一体性,の三要素から成り立つ。ニコラス・ウェイド『宗教を生みだす本能』NTT出版,2011年。ここでの西は近代社会の個人中心の宗教観に影響されている。

5)「政教」という場合,「宗教政治(祭政)」と「徳教政治」の二通りがある。元田の自己認識では,「堯舜の道」イコール普遍的な徳教イコール天祖神道イコール非宗教であり,後者の意味での「聖教一致」が唱えられる。沼田前掲書291-293頁。

6)西は天皇を国家制度とみなしている。菅沼前掲書36頁。

7)これは「真実無偽」を「誠」とする仁斎の考えである(前掲『語孟字義』「誠」)。これに対して朱子は「真実無妄」を「誠」と捉えて「天道至誠」とする。豊沢一前掲書162-163頁,黒住前掲書341-346頁。

8)このような捉え方は古学派に共通するパターンであるが,これがそのまま朱子学に当てはまるかどうかはむろん別問題である。

9)白川によれば,至高の存在は殷では「帝」と呼ばれ,周では「天」と呼ばれた。『呪の思想』平凡社,2002年,134頁,268頁。同『中国の古代文化(一)』中公文庫,1979年,282頁。

10)この箇所は為政者・学者向けに翻訳された『利学』の趣旨に重なる。菅原前掲書第三章。この点で「誤訳多し」とした大西祝は西の真意を捉えていない(『哲学会雑誌』15号,明治21=1888年)。同じく功利主義の立場に立つが,西はミルのように正義感と人類愛の二段階をとらないし,コントのように一挙に人類教へと飛躍しない。J.S.ミル『コントと実証主義』木鐸社,1978年。

11)「百一新論」(『日本の名著34 西周・加藤弘之』中央公論社,1984年, 107頁。また「人世三宝説」(『全集』)543-544頁。

12)西の枠組みの特徴はカント哲学と比較されるとき一層際立つであろう。両者の間の決定的な違いは「理性」の位置づけである。

13)豊沢前掲書136-137頁。

14)『語類』(『山鹿素行全集』第十巻,岩波書店,1940年)281頁,『謫居童問』(同第十二巻)153-154頁,『語類』(同第七巻)28頁。立花均前掲書,102−108頁。

15)『童子問』(『岩波文庫』)中67。

16)『答問書』(『日本の名著16』)308-309頁。

17)井筒俊彦『意識と本質』岩波書店,1983年,222頁。

 

3.『心理説ノ一斑』と<情=脳>テーゼ

 

西は『心理説ノ一斑』と題する講演(原稿)の冒頭で「心理学」史に言及している。心理学は宇宙論(コスモロジー)と並んで長らく演繹論理を基礎とする無形理学(形而上学)の一部であった。しかし19世紀中葉に到って漸くコントやミルの帰納法論理が登場する。この実理(実証主義)の時代の成果がアレクサンダー・ベイン(並びにスペンサー)の心理学である。この新たな心理学も有形理学としての格物学(物理学)に準じた方法をとる。しかし,人の脳をいくら解剖しても霊魂や知識や意や情は見つからない。心理学は表出された現象と己の体験からの推測に拠る外ない。数量化できる「化学」に比べると確実性は格段と落ちざるえない1)

以上を受けて西は「知情意」の内の<情>の分析にとりかかる。その際,自分が試みる分析はあくまで「設想的論弁」にすぎず,学術上の「試験」(実験)ではないと断っている。自分の立ち位置を自覚した「謙虚さ」は西の特徴である。さて古来,<情>は洋の東西を問わず,例えば「七情」や「六情」あるいは「十三個の情」のように様々に分類されてきた。しかもその多くは道徳感情と重ねられてきた。他方,最新のベインやヘブンの心理学では「組織された複合的な(compound)情」に偏しており,「単純な(simple)情」が疎かにされている。それに対して西はその「単純な情」をこそ取り出すべきであると主張する。西はなぜ「単純な情」に拘るのだろうか。この点の解明は後回しにして先へ進もう。

西は「単純な情」をそれ以外の心の働きや状態から選り分ける。まず「欲」が除かれる。これには「肉体欲」(五欲)と「理性欲」(六欲)がある。次に除かれるのは感性の内でも直接的な「感覚」(sensation)である。さらに「観念」が多少とも混合した情や意の発動も除かれる。例えば,悪意(ホコル,タノム,ニクム,アナドル),善意(敬/ツツシム,シンズル,慎/ツツシム),その他の意(ウタガウ,ソネム,イブカル)がそうである。こうして残るのが「単純な情」であり,これには「喜」「憂」といった「順境八情」と「逆境八情」の計十六情がある。そしてこれらの間には,「順境」が高じると「逆境」になるといった「関係の法則」(<関係即理>テーゼ)が成り立つ。「単純な情」とはベイン流に言えば「快楽」と「苦痛」である。なお,「単純な情」は後に一対増えて十八情とされる。

ここでは西の分析の細部に目を向ける必要はない。肝要な点は,「単純な情」とされる快楽・苦痛には「十八情」の次元があり,これらが人間社会上の事象や他人に対して発動される際、種々の「観念」と結合し,思慮をへて決行される中で「社会事象の原行」となることである。ここではそういう基本的な方向性さえ確認されればよい。その展開次第は次のようになる2)

 

…たとえば喜悦,娯楽はいわゆる社会の盛を鳴らすの具なる嘉例ならびに音楽の原行となり,愁憂より悲哀は喪の原行となり,悪憎,忿怒は刑罰,軍旅の原行となり,慈愍は恩恵の原行となり,畏惶は教法,祭儀等の原行となり…(593頁)

 

先へ進もう。「単純な情」を取り出し,それらの関係を描いて見せた後,西は一転して<情>をもつ人の「心意」の帰属に話を移していく3)。いかにも性急な展開であるが,実はここにこそ講演の真の狙いがある。従来,心の帰属に関して二説があった。一つは霊魂が脳蓋中に舎する(外から来て宿る)とする説であり,もう一つは霊魂が大脳中に存して知情意の三大現象を発生させるとする説である。これらに対して西は新たな説を立てる。それが即ち,心の状態は大脳の形状の変体であり,大脳の姿勢の変化であるという説である。こうして「十八情」は全て大脳の部分の様々の姿勢と対応づけられる。例えば,「喜」は大脳の開発の状態であり,「憂」は大脳の収斂の状態であるといった具合である。両者の対応づけを<情=脳>テーゼと呼ぼう。西によれば「知情意」の三大部の区別も実は大脳の姿勢の異なりであり,<情>の特別の官具はない。心理学の名目は種々あるにせよ,全ては等しく大脳の姿勢の異なりである。

<知/信>テーゼによって開示される「天」は,形而上学的に言えば,全ての実在的な諸関係の総体,即ち<現実>を包括する統一点である。西は<関係即理>テーゼに基づいて現実的な諸関係を区別しつつ統一的に連結しようとした。この企てを実際に遂行する際の拠り所が<情=脳>テーゼである。その遂行には二方向がある。一つは天理の二大領域である物理と心理の間の<区別-連結>を目ざす「統一の観」つまり諸科学の統一の実現であり,もう一つは教と法の間の<区別-連結>を志向する倫理学の体系化である。以下,それらの試みを簡略ながら辿ってみよう。

まずは「統一の観」である。周知のようにコントは実証主義に拠って諸科学の統一を企図した。コント以前に範とされたのがアリストテレスの二分類(理論学・実践学)であり,ストア派の三分類(論理学・自然学・倫理学)である。西欧の近世に到ってガリレオの機械技術学が登場し,デカルトやベーコンがそれに続いたとはいえ,古典古代の伝統的な枠組みを革新するには至らなかった。その意味でコントの試みは画期的であった。コントが採用した新たな分類原理は「抽象から具体へ」である。彼はそれに沿って数学,天文学,物理学,化学,生物学,社会学を順番に基礎づけていった。ところが,コントの枠組みでは心理が生物学・生理学に還元され,そこからいきなり社会学へと飛んでいた。心理学独自の領域が欠損していたのである。<生理と社会の間>のミッシングリンクを問題視し,いち早く架橋しようと試みたのが英国のJ.S.ミルであり,またミルに賛同した日本の西周である4)

J.S.ミルはその『論理の体系(システム)』の中で,国民性の心理学を創設することによって,人類一般に普遍的に妥当する「連合心理学」と,英国の大多数の人々が抱いている幸福感(「ある」)とを媒介しようとした。これは<心理と社会の間>の架橋の試みである。「最大多数の最大幸福」の理念(「あるべき」)に基づいて功利主義の政策を推進する上で,その試みは重要な意義を有していた。しかしその構想は挫折し,結局は放棄された5)

他方,ミルのような<心理と社会の間>ではなく,<生理と心理の間>に着目したのがかつて儒医を志したことのある西周である。彼は大脳と「単純な情」とを対応づける方向を探った。情の状態と脳の状態を対応づける<情=脳>テーゼは<関係即理>テーゼの適用である。コントが果たせなかった諸科学の統一は,個人心理に限定されたとはいえ,西によってひとまず実現されたことになる。西の試みの全貌はメモ帳に秘されていたこともあり,時代的にも地理的にも孤立していた。研究史の通説では架橋への関心,つまり統一科学の夢は晩年になって放棄されたことになっている6)。しかし,表面的に見るだけでは西の試みが有する哲学的な意義は浮かび上がらない7)。その試みが可能になったのは<情>の世界が「単純な情」の諸関係に分解されたからである。西が「単純な情」に拘った理由がまさしくここにある。そして彼の拘りを動機づけたのは,留学以前から抱いていた「性理学」に対する一貫した関心である8)

脳と心の対応関係は哲学の中心テーマの一つである。これをめぐって西とは無関係にこれまで種々の学説が提出されてきた9)。論争はいまなお決着していない。そうした中で最新の諸学説と比べるとき,西の試みは素朴な段階にあるように見えるが,考え方の基本的な方向性は間違っていない10)。とはいえ,近代日本の「哲学」にとって重要なのは,理論の細部ではなく<区別-連結>を徹底的に遂行する彼の<哲学的思考>なのである。

次は倫理学である。物理と区別される心理の内の「倫理」に関して西は,己を行う(修める)モラル(教),人に接する社交(人倫),人を治める政治(法)の三水準を区別する。その三水準を明確に区別した上で西はそれらの間に統一的な連関を設定する。この統一原理こそ「マメ(健康)」「トミ(富裕)」「チエ(知識)」といった幸福の「三宝」である。個々人の内面のモラルにおいても,友人関係を原点とする社交の場(家族・地域共同体・市民社会)にあっても,さらに政治と法の世界においても,倫理の原理は同一である。倫理の世界を諸水準に区別しつつ統一的に連結するという発想は,従来の日本の倫理思想の伝統にはなかった。西の試みは倫理の体系化という点では日本における初めての企てである11)

既に言及したように、「天」とその「命」に対する<信>が「永遠の幸福」を人に与える。倫理の原理としての「三宝」はしかし世俗的な幸福であり,したがって最高善ではなく次善である。西によれば,次善の世界における治国の倫理と安民政策は,<信>を背後にもつ為政者の「徳」によって支えられる。功利性の原理の適用のみならず,<信>と「徳」を組み込んでいる限り,功利主義倫理学の中でも西は独自の位置を占めている。それが可能になったのはここでも<情>が「単純な情」へと選り分けられたからである。

「単純な情」への着目は功利主義倫理学に止まらず,広く倫理思想史にとっても重要な意義を有している。「単純な情」を倫理の起点にするということは,孟子以来の伝統である「四端の心」を出発点にしないということである。伝統的な「性即善」という見方は,「性」の捉え方の違いがあるにせよ,仁斎だけでなく徂徠にもあり,朱子学(本然の性)や仏教(仏性)にもあり,さらに西洋のモラルフィロソフィー(モラルセンス)にもある。この自明の大前提を取り払うところから西は「倫理」を位置づけ直しているのである12)。こうした転換によって一方の道徳主義と他方の政治主義が共々退けられ,道徳と人倫と政治が改めて接続される。ここでも倫理学の体系化を可能にしたのが<区別-連結>を遂行する<哲学的思考>である。

 

1)西の説明をもう少し補うなら次のようになる。経験主義的心理学はベンサムを受けたジェームズ・ミルの連合心理学に始まり,それがベインやスペンサーによって徹底される過程で生理と心理の関係づけが問題として浮上する。それ以前は「精神道徳哲学」(mental and moral philosophy)であり,ハミルトンやヘブンに代表される。後者の著作を西は訳出している。その後,心理学は実験心理学に移行した。フェヒナーやウェーバーらの精神物理学やヴントの民族心理学が最先端であった。米国ではエール大学のラッドやハーバード大学のジェームズが知られる。もちろん以上の展開は西の視野には入っていない。冲永宜司『心の形而上学』創文社,2007年, 第1章。なお,日本に実験心理学を導入したのは東京大学の心理学講座担当の元良勇次郎であり,ラッドの弟子が倫理学講座担当の中島力造である。ラッドについては『哲学雑誌』第14巻,明治32=1899年。

2)「単純な情」と社会の(societal)慣習や制度との間の架橋について言及はあるが,展開されていない。この展開には対面的コミュニケーションの独自の存在とその機能分化を押さえておく必要がある。種々のコミュニケーションの分化から機能システムと機能的・包括的コミュニティの形成に関しては,森下直貴編『生命と科学技術の倫理学』(丸善出版,2016年)序章で論じられている。

3)これは初期からの懸案である。「哲学関係断片」(『全集』)177頁,「霊魂一元論」(『全集』)188頁。それらの箇所で西は霊魂すなわち元質が「脳」に「舎」する立場に立っているように読める。

4)「生性発薀」(『全集』)64頁,65頁,特に106−109頁。

5)川名雄一郎『社会体の生理学』京都大学学術出版,2012年,242頁。

6)小泉前掲書。

7)小坂前掲書では「センスの良さ」として解釈される(149頁)。

8)「西洋哲学に対する関心を述べた松岡鏻次郎宛の書翰」(『全集』)8頁。

9)十九世紀後半の心理学説を紹介すると,前半の連合心理学の連合(連想という飛躍)に対して出されたのが,スペンサーの進化的中枢化説,唯物論者の物質延長説,新カント派の思考による構成説,マッハの中性的一元論,ジェームズの心粒子や純粋経験である。冲永前掲書第1章及び第2章に詳しい。

10)二つのレベルの対応づけに関して,脳からアプローチするか心からアプローチするか,心を記号操作と見るか情動で捉えるか等,種々の論点をめぐって多様な見解がある。その内「カントル集合」「カオス的履歴運動」「フラクタル構造」を駆使する数学モデルは新鮮である。津田一郎『心はすべて数学である』文藝春秋,2015年。ただし,ホワイトヘッドも指摘するように,数学モデルを導くのは哲学的なアイデアである。

11)システム倫理学については森下前掲書。「体系」という面では井上哲次郎の『倫理新説』より西のほうが優れている。井上については森下直貴「井上哲次郎の<同=情>の形而上学」(『浜松医科大学紀要 一般教育』第29号,1-43頁,2015年)を参照されたい。

12)なお,「人世三宝説」には「藹善の情」が二ヶ所に出ている(『全集』522頁及び547頁)。この情は共同性や利他性と<情>とを重ね合わせる伝統を受けている。徂徠学の残滓か。『心理説ノ一斑』ではその伝統は出発点としては消えているが,この辺りの解釈は微妙である。

 

結 哲学体系と日本的形而上学

 

西周の「哲学」の核心は<現実>のあらゆる諸関係のネットワークの総体に差し向けられた<区別しつつ連結する>視線にある。これは<哲学的思考>の一つの具現である。彼はこの<区別-連結>の視線から,科学と哲学,形而上学と宗教,物理と心理,生理と心理,単純な情と複合的な情,宗教と道徳,道徳と人倫, 道徳と法など,あらゆる事柄を分割しつつ統合する。このような包括の内に西の哲学<体系(システム)>の内実が示されている。

あらゆる事物の諸関係の総体である<現実>は,近世の日本思想の文脈では「天の道」とされ,これが実質的には「天地の道」に重ねられた。したがって「天地の道」の中に<区別-連結>を導入することは,神妙不可測とされてきた「天の道」を<知>の側から可能な限り言説化することを意味する。「天の道」は空海の密教思想から連綿と続く日本的な形而上思想に連なる。とすれば,西の「哲学」は<哲学的思考>を具現することによって,哲学<体系(システム)>の樹立であっただけでなく,それと同時に日本<形而上学>の企てでもあったのである。西の企てはそれぞれ違ったやり方ではあるが,やがて第二世代の井上哲次郎と第三世代の西田幾多郎に引き継がれることになる1)

最後に付言すれば,西周を啓蒙思想家にしては体系的であるといったレベルで受け止めてはならない。彼は従来の「思想」レベルを超えて本格的な<哲学的思考>に初めて達していたという意味で,日本における「哲学」のいわば内的な制度化の体現者なのである。国民国家の立ち上げに苦心した明治の時代,西周という「哲学者」がいたことに筆者は驚愕の念を禁じ得ない。その西から21世紀に託された課題があるとすれば,それは彼の「哲学」の限界を突破してさらに先へと進むことではなかろうか。

1)井上哲次郎に関しては森下前掲論文を参照されたい。また,西田幾多郎の最晩年の未完論文も「私の論理について」であった(『西田幾多郎全集』第十二巻,岩波書店,1966年)。この事実は西の講演とともに近代日本の「哲学」の志向性を示している。

 

 

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『西周全集 第一巻』大久保利謙編,宗高書房,1960年.

『西田幾多郎全集』第十二巻,岩波書店,1966年.

西村稔『福沢諭吉 国家理性と文明の道徳』名古屋大学出版会,2006年.

沼田哲『元田永孚と明治国家』吉川弘文館,2005年.

『日本思想体系〈33〉伊藤仁斎・伊藤東涯』岩波書店,1971年.

『日本の名著16荻生徂徠』中央公論社,1983年.

『日本の名著26 二宮尊徳』中央公論社,1984年.

舩山信一『明治哲学史研究』(初版, ミネルヴァ書房,1959年)『著作集 第六巻』こぶし書房,1999年.

舩山信一『日本の観念論者』(初版, 英宝社,1956年),『著作集 第八巻』こぶし書房,1998年.

N.ホワイトヘッドの『過程と実在』(原著1978,平林康之訳)みすず書房,1983年.

真辺将之『西村茂樹研究』思文閣出版,2009年.

J.S.ミル『コントと実証主義』(村井久二訳)木鐸社,1978年.

『明六雑誌(上)』岩波文庫,1999年.

森下直貴編『生命と科学技術の倫理学』丸善出版,2016年.

森下直貴「井上哲次郎の<同=情>の形而上学」『浜松医科大学紀要 一般教育』第29号,2015年,1-43頁.

『山鹿素行全集』岩波書店,1940年.