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2017.04.02

高齢者介護の現場の「声」から「老いの中の死」を考える・シンポ

ミニシンポを開催しました。

テーマは「高齢者介護現場の声を通じて<老いの中の死>を考える」、日時は2017年2月12日(日)13:30〜17:00、場所は有楽町にある九州大学東京オフィスである。第一部では介護現場に詳しい三人の方に話題提供をお願いした。続く第二部では特定質問者との間の質疑応答を受けて、参加者全員による総合討論を行った。

介護支援専門職の経験のある上原真理氏(フリーの編集者)は、まず、慢性的な介護スタッフ不足の背景を問題にした。彼女によれば、理想的な施設の条件と照らし合わせるとき、決定的な要因として「介護という仕事」の評価に行き当たる。介護は生活経験の雑学(あるいは生きた知恵)であるが、これが医学やとくに看護学からは正当に評価されず、介護スタッフが仕事に「誇り」を持てない理由となっている。続いて、老いや死の迎え方を問題にし、「安心・安全な老後」という綺麗事に終始するジェロントロジーの風潮を批判した。ここでもキーワードは老人/死者になるための「誇り」である。

日本思想史の研究者である平山洋氏(静岡県立大学)は、特定難病のため要介護5となった母親を世話する体験を物語った。独身の長男として数年前から同居し、自宅と勤務先とを長距離日帰りで往復しながら世話を続ける。ところが母親の状態が急速に悪化し、今では胃瘻と経管栄養を必要とする。そのような日々を送る中で自問自答する。要介護4までは育児に似ているが、要介護5は農業に似ている。とすれば「収穫」とは何か? 介護することによって得られるものとは何か?

精神科医の菅原一晃氏(自治医科大学)は、地域の総合病院での診療経験を通じて医療の現状を問題にする。精神科外来と精神病棟に認知症患者が増えるに伴い、「拘束」からの解放という理念とは逆行する動きが生じている。自宅か施設かという選択肢の貧困、受診時における家族主導、病名告知、検査被曝、医師側の力量、拘束・鎮静、介護保険、薬の過剰投与と副作用といった問題点を具体的に挙げながら、日々疑問を持ちながら診療に携わると語る。その上で良い医療化とは何か、医師にとって納得できる介入はいかにあるべきかと問いかける。

特定質問と総合討論では種々の論点が出された。良い介護施設の条件、看護師と介護士の関係、自宅で親を介護する独身の子ども、親を介護する文化の変容、働きながら介護できる制度、コミュニティの規模と介護の質、「劣った死」という捉え方、誇り(プライド)の必要性、訪問看護師という存在、外国人介護者の導入、等々。これらの論点は、労働市場・社会保障制度・共助機能・人生観・死生観という分野、並びに、老人の生における働・性・病・死といった主要関心事と通底している。

今回のシンポジウムで出された介護現場の「声」は、少数ではあったが論点としてはほとんどすべてが網羅されている。「老人」と「介護」という窓から見ると、老人世代にとっての問題は同時にすべての世代にとっての問題でもある。今回はその点を改めて確認することができたように思う。