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RESEARCH WORKS
2017.04.02

老成学・日中座談会 2016年3月23日

「老成学の構想」日中学術座談会の総括[1]

王青(李彩華訳)

「老成学の構想」日中学術座談会は2016年3月23日に中国社会科学院哲学研究所において開催された。今回の座談会には中国社会科学院哲学研究所の王青研究員が司会を務め、日本国立浜松医科大学総合人間科学講座・倫理学の森下直貴教授、日本名古屋経済大学の李彩華教授(日本思想史)、中国社会科学院哲学研究所の単継剛研究員、同社会科学院社会学研究所の王春光研究員、北京日本学研究センターの郭連友教授、中国人民大学哲学院の李萍教授、河北大学社会学部の郝雲飛准教授および中国社会科学院哲学研究所東方哲学研究室のメンバー全員が参加した。

座談会ではまず森下教授が「老成学の構想―老人世代の再関与によるコミュニティづくり」と題する学術報告を行った。「老成学の構想」は森下教授が研究代表者を務める日本文部科学省基盤研究(B)「『老成学』の基盤構築―<媒介的共助>による持続可能社会をめざして」という現代老年学の課題である。森下教授はこれまで長年にわたって安楽死や臓器移植など生命倫理、医療倫理の先端問題に関する研究に携わってきており、『生命倫理学の基本構図』(編著、2012)、『生命と科学技術の倫理学―デジタル時代の身体・脳・心・社会』(編著、2016)、『健康への欲望と<安らぎ>―ウェルビカミングの哲学』(2003)などの著作がある。日本社会の老齢化問題がますます顕在化するにつれて、森下教授は近年より老年学の研究領域に注目しはじめ、「老成学」という独創的な概念を提起し、一種の積極的で主体的な現代老年哲学観をもって既存の消極的で受動的な「老年学」を克服・超越しようとしている。

森下教授は次のように指摘している。日本はもうすでに世界で最も長寿の国となり、国民の平均寿命は84歳に達している。老齢化と貧富の二極化の問題及び疾病などの要素が重なったさいに、もともと弱者に陥った老人世代がしばしば経済上において貧困化(下流)に転落し、生活の質は低下する。同時に核家族制度が家庭関係の結合力のゆるみや解体をもたらし、老人世代を孤独・孤立の状態に追い込み、在宅で安心して老後を過ごすことはできなくなってきている。一方、社会の養老制度の方面では、戦後日本社会が構築してきた「自助」(貯蓄)+「共助」(家族および企業の保障)+「公助」(年金及び生活保護制度)という三つの柱からなる養老セーフティーネットの機能が極度の弱体化した状況に直面し、そのうえ介護施設と介護士の資質や数も不十分といった問題もある。これらの問題に鑑みて、森下教授は次のように結論づけてゆく。すなわち、日本社会は社会保険制度に過剰に依存するような養老システムから転換しなければならない。かつて日本はスウェーデンなどの北欧国家の高福祉・高税率政策に見習おうとしていた。しかし、税収をあげ続けることはもともと停滞状態にある日本の消費をますます低迷させ、さらなる経済の衰退を招くことになる。したがって、社会保障の方面では、人口過密の日本は人口密度の低い北欧国家のような制度ではなく、ドイツ式の中福祉・中負担の政策を採用すべきなのである、と。

養老の考え方に関して、森下教授は元気な老人による積極的な関与という能動的老人観を強調している。すなわち哲学の意味において「老」を「老いが老い自身を再帰的に意味づけ直す」プロセス(Re-ageing)」ととらえ、老人が積極的に再関与できる老中青多世代の共生社会をもって社会を再規定することである。老人の経験と知恵を社会に尊敬・評価されるようにし、老人世代が共助、協働、協治、共有といった枠組みや形のなかで社会に再関与し、その中から生活の意義と幸福感を獲得したりする。具体的に言えば、元気な老人がコミュニティの各々の領域(行政制度、産業技術、理念・伝統などのレベル)において改めて役割を発揮することができるということである。これはコミュニティづくりにとってメリットとなるだけでなく、老人世代の社会的関与・交流自体のネットワークを構築することもできる。介護が必要な老人に対しては、「介護」を家庭および介護施設に限定させてはならず、むしろ地域共同体の役割を発揮させ、コミュニティの民生委員を設置するなどの制度を通じて、近隣の老人を「身近な他者」の身分としてコミュニティネットワークの中に組み込ませて、老人と老人の間の共助機能を促進すべきである。森下教授は高齢化率が50%に到達している大分日田市中津江村を例に、中津江村現地のNPO(チョイてご)が推進した老人間の互助活動、地方および老・中・青の多世代の共生社会に果たした役割などをも紹介した。最後に中国の介護施設や介護政策を十分に考察したうえでその経験を参考にしたいといった希望を示して報告を終了した。その後、日中の学者は養老の話題を中心に踏み込んだ議論と交流を展開することができた。

単継剛研究員は養老に関する中国の伝統的な考え方や家庭の倫理道徳を紹介した。李萍教授は日本近代の和辻哲郎倫理学を継承・超越しようと目論む森下教授の独創的な「老成学」概念について議論し、積極的有為的な現代的老人観を構築しようとするならば、「老為学」の概念はその能動的な一面をもっと表現することができるのではないかと主張した。賀雷氏はアベノミクスがいかに養老問題の困難な状況から脱出できるのかに対して憂慮を示した。洪軍副研究員は、日本の経験を今後の中国のコミュニティ養老制度にとって参考になるとしたうえで、中国はまだ老齢社会に進み出したばかりで、たんに政府に頼るだけという養老の弊害を改善するためには、コミュニティと家庭がその役割を発揮するとともに、国家政策のレベルでそれを確かなものにする、またそれを支えるという仕組みづくりも不可欠なのだと指摘した。王青研究員は、社会の発展にともなって、若者は個人主義の意識が強くなり、自分自身の発展をより重んじるようになり、出産する願望が低くなったことを踏まえて、「幼有所養、老有所依」(子供が養育してもらう所があり、老人が社会や家庭に面倒を見てもらう所がある)という老・中・青の多世代共生社会を構築するためには、老人世代に第三世代(子供)の養育に積極的に関与してもらうことを提唱すべきであると主張した。彼女によれば、これは老人世代に人生の意義を与えることができるだけでなく、若い世代の現実的な困難を克服する手助けにもなるのである。ただし家族構成員のそれぞれの独立した人格を尊重するという基礎の上で三世代の共助的家庭モデルを構築することがその大前提であり、そのために家庭倫理の再構築や家事労働の社会的評価を高めることが大切である。

王春光研究員は日中両国の養老制度およびその現実的な状況に対して詳細な比較的分析を行った。その中でとくに日本人におけるプライバシー重視、家庭構造の明らかな個性化、集団活動に参画する積極性の欠如などの特徴に言及し、これらはコミュニティの互助的な養老活動を妨げる問題であるとした。王研究員が指摘したこれらの観点の中で、李彩華教授はとくに日本人のプライバシー重視の点に対して共感を示した。彼女は自らの生活体験に基づいて、戦後日本がアメリカの影響のもとで形成してきたプライバシー重視の個人主義の価値観について次のような事例をあげた。例えば、日本には「町内会」というコミュニティ住民によって構成される末端の自治体があり、たいていそこで老人の集いなどの活動が定期的に行われたりする。目的はまさに近隣の他者として交流を深めることであり、相互に近況を把握することで相互理解を深め、何らかの形で助け合えるように配慮したりするのである。また地域およびその文化の活性化を図るために様々な伝統的な祭祀活動も行われたりするわけである。プライバシーにあまりかかわらない活動であれば、元気な老人たちはたいてい自発的に積極的に参加するのであるが、個人および家族のプライバシーにかかわる介護関連の共助活動となると、互助の実現は往々にして難しいと思われる。このような問題になると、やはり家族や社会保障制度に頼るしかないというのが現状であろう。したがって、プライバシーの保護と老人世代の社会的関与の矛盾をいかに乗り越えるかが大きな課題であると思われる。

時間の制約により座談会で発言できなかった中国社会科学院哲学研究所の博士研究員の樊沁永氏は書面により以下のコメントを提出した。樊氏は倫理と哲学の視角より「老」を再定義しようとする森下教授の考えを高く評価し、その志向性は、すなわち不断に生成する意味において「老」の含意を豊富なものにするということにとどまらず、創造的価値という生成の意味においても「老」の内包を広く切り拓いたということになる。樊氏によれば、森下教授の個人の視角からの思考は実質上身体的生理的健康をもって境界線とし、身体的健康を有している老人が自身の価値を不断に掘り下げることを強調している。だが問題は伝統的な家族から核家族に発展してきたのに伴って、孤立した個人が不断に強化され、伝統的な家族の養老機能が次第に喪失されていくことである。このような状況下で国家と社会はいかにして老人世代の養老問題を解決するのか。ここでは最も根源的な哲学的基礎は依然として人間に関する伝統的と現代的な定義の区別であり、「老」に関する定義の区別ではないと思われる。この点に関して言えば、森下教授の思考回路は個人の問題においてまだ現代的な枠組みを超えておらず、根本上において養老問題を解決する答えにはならないと思われるが、老人世代の生の品質と精神生活を高めることでは重要な意義を持っているに違いない。

現在の中国は現代国家として、人に関する基本的な理解は(森下教授と同じように)個人の視点から出発していて、他者との関係、とりわけ個人と家族との関係(の側面)をあまり考慮に入れていない。伝統的な大家族から次第に核家族に変化した現在、もし我々は家族を主要な養老手段と強調するなら、家族にとっての個人の意味の問題も解決しなければならならず、とくに親類血縁関係の哲学的理解は人間に対するモナド的な理解から脱却しなければならないと思われる。かつて儒家思想が主導となっていた伝統的な社会形態の下では、孝道を提唱することで養老の問題が政府または社会の問題とみなされることはなかったのである。儒家思想の基本的な生命観の基礎は、人の命の伝承が血のつながりによって引き継がれ、そして父母に対する子供の孝は人が人としての自然の情感における必要な構成となり、人に対してこのように定義し理解することで、養老問題は自然と、人が自分自身(の自然の感情―訳者)で規定するという法則に従って、老人を養うという義務を実現するのである。たとえ独居老人のような特殊の事情があるとしても、これと同じような生命観をもって押し広めて形成した宗族が基本的の養老義務を実現することができる。この意味において儒家思想は極めて参考に値すると考えるが、儒家思想の現代的な転換をいかに実現させるかが基礎的な理論問題となろう。

総じていえば、座談会ではこの「老成学」という先端的な問題をめぐって日中の学者たちが熱気あふれる有益な交流を行った。森下教授の思索は日本の老齢化社会の問題に対するプロスペクティブ(prospective)な探求だけでなく、「未富先老」の(豊かになる前に高齢化社会になる)中国社会にとっても示唆的な意義を持つというのが参加者の一致した見解である。

 

[1] 本稿は2016年3月23日に中国社会科学院哲学研究所で開催された「老成学の構想」日中学術座談会の総括であり、『哲学動態』第6期(中国社会科学院、2016年)に掲載された王青氏の中国語原文をもとに訳出したものである。

王青:中国社会科学院哲学研究所/李彩華:名古屋経済大学