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2017.04.23

近代日本倫理学と共同性 日本倫理学会予稿集2013

主題別共同討議:近代日本倫理学の総括ないし反省(予稿集)

日本倫理学会、2013.10.5−6、松山

 

近代日本倫理学の<眼差し>―複雑性に耐えうる思考を求めて

 

森下直貴(浜松医科大学)

 

1.「近代日本倫理学」を「反省」するとは、現代の我々にとって何をどうすることなのであろうか?

明治から大正をへて昭和の戦前までを近代日本とすれば、この期間のアカデミックな倫理学に関して論じられるべき哲学者は、井上哲次郎(と大西祝)、西田幾多郎、そして和辻哲郎であろう。彼らと我々との間には時代の隔たりがあり、歴史的経験の蓄積という点でみれば、後続する我々の方がもちろん有利な地点に立っている。ただし、その有利さは我々自身の理論的な努力によるものではなく、たんなる運命の巡り合わせにすぎない。翻って視線を理論水準に向けるならば、彼らの肩の上に乗っている我々の方がむしろ劣っているように見える。なぜなら、社会構成上では近代/現代は基本的に連続しているが、それにもかかわらず、彼らの(身分階層社会からの移行期特有の)倫理学を乗り越えるほどの理論を我々自身いまだに持ちえていないからである。

したがって、我々に「反省」できることがあるとすれば、それはたかだか、彼ら自身には見えない<眼差し>を可視化することぐらいであろう。眼差しは特定の区分を指し示すが、区分のこちら側を見るだけであり、区分そのものと区分の向こう側を見ることはできない。井上や和辻には見えないにしても、後続する我々には比較する視点をもつことによって見えてくる区分がある(同様に、我々は自分の眼差しを見ることはできない)。とはいえ、そのような可視化を通過し、区分の向こう側を繰り入れて自らの可能性を不断に広げるような<複雑性に耐えうる思考>をえてこそ、現代日本倫理学の構築に着手できるのではなかろうか。

 

2.それでは、近代日本倫理学の特有の眼差しとは何か。私見ではそれは<共同性>である。これを敷衍すれば、「社会性=関係性=共同性=一体性」あるいは「関係を離れて個人は存在しない」というテーゼになる。そしてこの眼差しに関連するのが、「全体/部分」(国民/個人、自己展開)、「上/下」(精神文化/物質文明)、「目的/手段」(共同態/利益社会)といった移行期の近代倫理学特有の思考である。

日本の近代倫理学の理論枠組は以下のように概括できる。「社会性=共同性」を中心にして、上方には国民が最大最善の包括的な共同性として掲げられ、下方には共同性を受けとめる各人の心が至誠・無私(真情・没我)として置かれる。この<国民―心>の軸はさらに上下から<真実在―我>の軸によって包まれる。最上位の真実在(無差別)は最下位の衝動や意志となって心を統一しつつ、この心=我が物と一体化(没我状態、未分)し、分化発展を通じて国民的共同性を実現させ、やがてそこを超えて真実在=宇宙に帰入・没入する。ここにおいて全体的な共同性が円環的に完成する。

<共同性>で充満した上記の理論枠組は、基本的に、井上(と大西)から西田や和辻までの倫理的思考を貫通している。ただし、彼らの間に対立や相違がないわけではない。例えば、井上と西田の間では哲学の枠組がおよそ対照的である。井上がカント哲学を基盤にしているのに対して、初期の西田はジェームズやベルクソンに依拠し、超越的実在を立てない内在主義の立場をとる。しかし、西田の前期(純粋経験)と後期(行為的直観)の隔たりを貫いて、主客未分・我即物・没我一体という根本思考が持続している。そのかぎり、個人意識を重視しつつもそれは社会的関係を離れてありえないとする捉え方と併せて、西田の思想の深部は井上の眼差しと通底している。

他方、井上と和辻では「国民」の捉え方がたしかに異なる。井上の場合、国民は国家の臣民として政治的視角から捉えられ、臣民たちの統合が国民道徳論の目標になっている。それに対して和辻の場合、国民は倫理的な共同性という視角から捉えられ、風土的な身体感受的一体性を基礎にし、多様な共同態や利益社会を包括する最大最善の共同性とされる。しかし、井上は国民をタテの線(祖先崇拝)によって総合的家族制度としてまとめ、やがて日本民族の精神を強調するようになるから、環境とのヨコの線(身体的感受的共同性)を強調する和辻とは深部において重なり合う。

 

3.さて、以上の基本枠組を三者に即して確認してみたい。まずは、明治中期から大正前半にかけて哲学アカデミズムの中心にいた井上哲次郎である。彼は戦後世代によって国民道徳論の生みの親とみなされ、(福沢諭吉―大西祝―三木清と対比される中で)思想家としてきわめて低く評価されてきた。また、和辻によっても(世代的な嫌悪感を別にして)、普遍的な倫理学と特殊な国民道徳との混同として否定された結果、井上は近代日本倫理学の表舞台から消されてしまった。しかし、良心をめぐる井上と大西、哲学的枠組に関する井上と西田、国民道徳論における井上と和辻の関係を公平な眼をもって眺めるかぎり、これまでの評価はあまりに不当なものであったと言える。井上を近代日本倫理学の第一ステージに正しく位置づけるには、国民道徳論(『勅語衍義』や『国民道徳概論』)、形而上学(東洋哲学史研究、現象即実在論、『哲学と宗教』)、そして倫理学(『倫理新論』から倫理的宗教論)の三本柱を連関させて把握する必要がある。

井上は明治期最初の本格的な倫理学書をもって登場し、長期留学の後は東洋哲学史研究を自ら切り拓きつつ、やがて独自の哲学上の立場(現象即実在論)を構築するに及んで、普遍的な「倫理的宗教」を提唱したが、これは各方面に大きな反響を呼び起こした。そして大正期以降、東洋哲学史研究の延長線上に独特の神道哲学に辿り着く。しかし、日本発の世界哲学を志向した彼の「日本哲学」が最終的に日本民族精神(神道)の哲学に帰着したのはなぜか。その答えはおそらく普遍的な「倫理的宗教」の具体化に求められるが、ともかくここにおいて、共同性の心=至誠は未分の心(神明の舎)として、また神も人の道徳的理想として解釈される(これはカント宗教論のイエス解釈に対応する)。

井上は自分の形而上学を正当化するためにカント哲学を下敷きにする。『倫理新説』以来、彼の形而上学の大枠は変わらない。不可知の実在が活動として現象し、衝動や意志となって個人の内面で働いている。この現象界を貫いているのは目的論的な「化醇の紀律」(スペンサーと山鹿素行を足して2で割った進化思想)であって、万物は単純なものから複雑なものへと進化し完成する。ただし、完成への素質は生存競争における努力なしには実現しない。努力の目標は良心(至誠)によって理想として掲げられつつ、最終的には祖先から継承した国家事業に収斂する。国家は有機体であり、個人は有機体の一細胞である。国家を離れて個人はいない。人(小我)は混沌無差別(祖先)から生まれ、理想をめざして競争努力し、国家の繁栄に貢献した後は、やがて元の混沌(大我)に帰入するのである(『哲学と宗教』)。なお、井上と大西祝との間には対立面だけでなく、共通の哲学基盤があることも見逃してはならない。

 

4.西田幾多郎は『善の研究』において、カント哲学を下敷にした井上の哲学的枠組(不可知の超越的実在の現象)に対し、すべてを意識の純粋経験に帰属させる内在主義の枠組をとっている(これは部分的には大西の経験重視の影響である)。この「純粋経験」は主客が分離する以前の未分一体(渾然一体、没我)の状態であり、(ヘーゲル的に)対立展開(自家発展)することを通じて、ふたたび宇宙大の没我状態(真実在=真の自己)に還帰する。この真の自己を実現するために、個我が物に成りきる至誠の心が求められる。ここに至って西田の思考は哲学的枠組の相違を超えて井上のそれに重なる(井上が西田を高く評価した理由がここにある)。

純粋経験の内在主義が成り立つ場は1934年の『哲学の根本問題 続編』以降、意識の世界から個物と個物が働き合う歴史的世界へと移される。この世界の原型は、身体作動によって我が物と循環的に一体化する「行為的直観」である。このように哲学的枠組の場は歴史的世界へと広げられているが、未分一体の根本思考(「そこからそこへ」)は西田の後期哲学をも一貫している。

我物一体性の思考が社会的関係の場に移されると、自他の共同性の思考になる。『善の研究』では、個体意識を重視する見方と「関係なくして個人はない」とする見方とは両立するとされた。後期への移行期においても(「私と汝」1932年)、私の意識の「今」における非連続の連続という論理が、そのまま私と他者の関係に当てはめられている。これをさらに歴史的現実世界に拡張するとき、後期の弁証法的一般者の論理が誕生する。しかし、ここで疑問が生じる。内在主義の立場に徹するならば、「西田=眼差し」は歴史的現実世界のどこに位置するのか。あるいは、「我物一体」という状態は「我=西田」による身勝手な<区分>にすぎないのではないか。

和辻が1934/5年頃に構想した『人間の学としての倫理学』では、西田の移行期の論理(無の場所)に言及されている。ただし、『倫理学 上』における人間存在の根本理法と西田の後期哲学との連関は必ずしも定かでない。逆に、西田が日本文化を「情の文化」と規定したとき、依拠したのは和辻の日本精神史研究である。

 

5.和辻哲郎は井上の『勅語衍義』を通して「教育勅語」を教え込まれた最初の世代に属する。やがて時代の風潮の中で権威主義的な徳目教育に反発し、個人の真情・直観(ニーチェや漱石やベルクソン)に依拠しつつ、精神文化にのめり込んでいく。彼はまた西田の世代を最後とする漢学的素養が途切れた世代でもあり、世界文化の延長線上に古代日本文化を再発見する。その過程で時代の激変を目の当たりにし、社会を揺るがす事件や震災をきっかけにして「国民」の一体性を自覚するようになる。そして帰国後の昭和3年(1928年)辺りから国民性の研究(国民道徳論)に着手する。

和辻の国民道徳論に関して次の三点が注目される。第一に、「国民」は井上のように政治的な次元ではなく、倫理=共同性の次元に特化して捉えられている。そこから「国民」とは複数の共同態や利益社会を包括する最大最善の共同性とされる。第二に、「国民」は一個の人格としてふるまいつつ、同時に多数の個々の人格に具現される、という二面性をもつとされる。これが一般化されると、1935年の『人間の学としての倫理学』の間柄=行為的連関の倫理になる。第三に、「国民道徳」の定義に関して特殊的国民道徳と普遍的倫理学とが区別されている。これは井上の辿った道とは一見すると逆である。しかし、和辻の普遍的倫理学(人間の学)が言葉の解釈を手がかりにし、その言葉は基底的には風土的共同性を前提しているかぎり、倫理学の普遍性も特殊な国民精神によって限定されることになり、井上との差異はほとんど消える。

和辻における倫理学と特殊な国民道徳との循環構造の基礎には、風土論(環境と直接する身体的感受面の共同性)がある。とすれば、集団や個体の倫理学に比べてたしかに画期的であった関係性の倫理学の存立は、もっぱら、国(くに)の民の身体感覚の共同性の成否に委ねられることになる。しかし、和辻のいう人間=行為的連関=間柄の二重性という把握は、そもそも<意味>という存在(したがって全体性と個別性の意味)を誤って捉えていないか。環境に触発される身体感受性の範囲(日本人)を決める要因は政治でないとすれば何であろうか。国民=包括的な共同性だけの単純思考では現代社会の抱える問題(例えば生命倫理)に対応できないのではないか。これらの議論は大会当日に展開したい。