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RESEARCH WORKS
2017.04.25

医療倫理 2007

書評:赤林朗編『入門・医療倫理Ⅰ・Ⅱ』(勁草書房、2005・2007)

 

 

本書は、東大の赤林教授を代表者とするグループの手になる医療倫理の教科書である。このグループが日本の医療倫理学の中心にあって斯学をリードしていることは、衆目の一致するところであろう。それだけに、一昨年のⅠに続いてⅡが出版され、ようやくその全貌が明らかになった本書に対して、多大の注目と期待が集まることになるのも当然とはいえる。もちろん、医療倫理のような学際的で日常実践と直結する分野の教科書を作ることは、読み手の側の関心や知識の種類と水準が多様であるだけに、じつはなかなかに困難なことである。それでは、その種の難題に本書はどのようなスタンスで臨み、いかなる展望を開いているのか。この点の見極めはおそらく、日本の斯学の行方を左右するほどの意義をもつように思われる。

Ⅰは、第一部の基礎編と第二部の各論から構成されている。基礎編の前半は倫理学の基礎理論に当てられ、倫理の基本的な考え方から、規範理論、有名な四原則、その他の理論に渡って簡明に説明されている。その後半では法の基礎に始まり、医療行為と法、医療従事者・患者関係、インフォームド・コンセントといった項目が要領よく説明されている。続いて各論では、生殖医療や、新遺伝学、クローニング、終末期医療、脳死と臓器移植、医療資源の配分、医療事故と法、研究倫理が取り上げられ、問題の輪郭が的確に解説されている。

従来の医療倫理の教科書では、倫理学的な枠組みが貧弱なものがしばしば散見された。それらに比べると本書では、倫理学的な思考と問題の立て方が基礎論から各論までを有機的に貫いている。しかも、理論一辺倒でもなく、直観(常識)との往復運動(「反照的均衡」)が考慮されている。つまり、よい意味で際立って倫理学的である。また、法律関係の解説も丁寧に目配りされ、倫理と法とのバランスがとれていて、この一冊で理論的な見通しが利く。さらに、各論の個々の論点や、概念の整理、問題の枠組みなども簡にして要を得ている。要するに、Ⅰはスタンスが明確であり、入門書として十分に成功していると評価できる。

さて、問題は新刊のⅡであるが、その構成はこうなっている。最初に大半のスペースを費やして、規範倫理学(功利主義、義務論、徳倫理)とメタ倫理学(実在論・認知主義、反実在論・非認知主義、理論の現在)が紹介される。これに続けて、法と倫理の狭間として権利論、法と道徳、法と正義が説明され、最後に規範理論ごとに集められた14の簡単なケース集が配置されている。

このⅡを一目見て評者は当惑を覚えた。まるで英米系の倫理学の教科書を見ている気がしたからである。しかし、気を取り直して丁寧に読み進めながら考えてみた。Ⅰはたしかに倫理学的ではあったが、その説明は中途半端なものであった。もしも倫理学的特色をさらに鮮明にしようとするならば、もう少し突っ込んだ説明はぜひとも必要であろう。それはまたグループが関わる養成講座の受講生からの要望であったのかもしれない。そう考えるなら、従来の医療倫理学に対して常々理論的に飽き足らない思いを持ってきた者にとって、Ⅱは貴重な見取り図を提供してくれていると評価することができる。ただし、理論面に関して欲をいえば、英米系の倫理学的思考と理論の枠組みを突き破るような、大胆で創造的な挑戦も必要ではないか。例えば、Ⅰで指摘された「共通道徳」つまりは常識を「現在」において掘り下げるような試みがされてよいように思う。

しかし、医療倫理学に関心をもつのは評者のような倫理学者ばかりではない。むしろ大半の者は主として実践的な関心をもっており、とくにメタ理論の部分を指して「難しすぎる」「使えない」という不満を抱くにちがいない。あるいは、直観との往復を深めて具体的なモデルケースを総合的に論じて欲しかったと、残念がることであろう。

繰り返すが、本書のスタンスは一貫して「倫理学的」であり、Ⅱはその徹底であった。本書は日本初の本格的な「医療倫理学」の試みなのである。そしてこのユニークさは、その裏面で織り込み済みのこととして、上述のような犠牲を伴わざるをえないのである。とはいえ、本書の中心を担った若い執筆者たちはよく勉強していて、(評者自身の同年代の頃に比べてもはるかに)優秀であるから、今後は医療現場での経験を通じて、医療倫理学のⅢ(概念分析)やⅣ(ケース集)に取り組んでくれるはずである。医療倫理学の次代を担う彼らの活躍に大いに期待しよう。

(森下直貴・浜松医科大学・倫理学)