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社会活動

SOCIAL ACTIVITIES
2017.04.25

教養教育と専門教育 2013

京都三大学教養教育研究推進機構 第3回公開講演会 2013.3.19

生命倫理から臨床倫理へ——医学部/他学部の教養教育の一例として

森下直貴(浜松医科大学)
専門(職業)教育に対する教養教育の位置づけは、大学というシステムにとって永遠のテーマといえる。これに関してこれまで二つの考え方が見られる。一つは、フンボルトやゲーテ仕込みの「普遍的人間」の理念を掲げ、専門人に不可欠な人格的土台の陶冶をめざす。もう一つは、専門教育のための土台固め(初歩・入門)として、語学や常識といった汎用的技能の習得をめざす。しかし、前者が掲げる「普遍的人格」は現代人には窮屈すぎるだろうし、後者の汎用的技能の育成からは人間性が抜け落ちている。たしかにどちらの考え方も必要ではあろうが、それだけでは不十分である。

その欠を補うための第三の考え方として、ここで提唱するのが「複雑性に耐えうる思考」という目標である。専門教育では一定の「単純化」は避けられない。専門技術がそもそも機能(交換可能な変数間の一定の関係)の単純化だからである。それに加えて、現代社会自体が機能分化したシステム間の連関として成り立っている。したがって単純化がたしかに避け難いとしても、過度に単純化されていることに気づくことはできる。この気づきを刺激することにこそ「教養教育」の現代的な意義を認めたい。

例えば、バイオエシックス(生命倫理)をとりあげると、どの教室でも有名な四原則が教えられている。しかし、なぜその四つなのだろうか。専門(技術)教育ではその理由を問うことなしに、ただ覚えさせるだけである。その結果、臨床現場では使えないことになる。それに対して教養教育ではその根拠や前提を考えさせる。考えることを通じて、原則を活用しつつ自ら新たな枠組を作ることも不可能ではない。

残念なことに、過度に単純化された思考は、生命倫理や臨床倫理の領域に限らず、科学(学問)全体に広がっている。典型例は「トロッコのジレンマ」であるが、これは冷戦時代の戦略的思考の延長上にある。経済学や医学や環境科学(予防原則)でも、「リスク」計算をめぐって過度の単純化が見られるが、その影響は甚大である。

それでは、単純であることを自覚しつつ過度の単純化を避けるために、具体的に何をどう教育すればよいのだろうか。第一部では、そのヒントを根本から探るために、「意味」「コミュニケーション」「倫理」「医療システム」「医療倫理」をとりあげてみた。その結論を言えば、自分の眼差しには見えない区別の向こう側の可能性を不断に考慮することである。以上受けて第二部では、浜松医大の教養教育の実情の一端を紹介し、その課題や今後の改革について考えてみた。